彫刻家であり仏師でもある井戸博章と、黒瀬陽平による共同キュレーションです。会場の西方寺には吉原の遊女、高尾太夫が眠る墓があり、落語「反魂香」ゆかりの地でもあります。噺の中では、香を焚き、その煙の向こうに高尾の魂を呼び返しました。煙が誘う境内に、各々の作品は何を呼び返すのでしょうか。
【日にち】 2017年2月23日(木) 〜 2月27日(月)
【時間】 12:00〜17:00
【場所】 西方寺
〒170-0001 東京都豊島区西巣鴨4丁目8-28
・三田線「西巣鴨駅」A4出口から徒歩1分 ・JR線「巣鴨駅」北口から徒歩15分
主催:「まつりのあとに」実行委員会
1983生まれ 東京芸術大学彫刻科卒業 同大学院 文化財保存修復彫刻修了 彫刻家・仏師として、宗教、修復、守護をテーマに制作している。
庭屋。今までに参加した展覧会は、2014年 カオス*ラウンジ 「キャラクラッシュ!」、2016年 瀬戸内国際芸術祭2016 カオス*ラウンジ「鬼の家」、2016年 カオス*ラウンジ新芸術祭2016 市街劇「地獄の門」など。
1988年徳島生まれ横浜育ち。女子美術大学卒。多摩美術大学大学院修了。2013年より渋家でカンファレンスなどを担当。第十八回岡本太郎現代芸術賞入選 。
新聞社に勤めながら制作活動をしています。最近ではバラックアウトに参加しました。
1988年神奈川県生まれ。多摩美術大学大学院修了。ランド・アート研究。僧侶。
東京都生まれ。メイクアップアーティスト、CM・MV美術、ファッションフォトグラファーとの作品制作を経て、現代アートを学ぶため新芸術校へ参加。主に油彩画。
かつて西方寺(1622年建立、諸説あり)は浅草にあり、身寄りのない遊女たちの「投げ込み寺」であった。現在の西巣鴨に移ったのは、関東大震災の後である。 西方寺には現在も、浅草の頃からあった遊女たちに墓が残されている。その中に、様々な文学作品に登場する遊女「二代目高尾」と、西方寺を開基したと伝えられる道哲道心(島田重三郎)の墓が、寄り添うように建っている。 よく知られているように、落語「反魂香」は、夫婦の契りを交わしたにも関わらず、仙台藩主・伊藤綱宗によってその仲を引き裂かれた、高尾と道哲が主人公の噺である。 綱宗に身請けされた高尾は、道哲に操を立て、綱宗の求めに応じなかったため、隅田川の船の上で、きわめて残酷な処刑法である「逆さ吊り」によって切り捨てられた。 死を覚悟した高尾は、「反魂香」(焚くと死者が蘇り、その煙の中に姿を現すと言われる香。漢の武帝の故事による)を道哲に託していた。高尾を失った道哲は僧侶となり、亡き高尾の姿をひと目見ようと、夜な夜な鉦(かね)をつき、反魂香を焚いて高尾の霊を呼び出していた。 「反魂香」は笑い噺である。 長屋に住む八五郎は、同じ長屋の坊主が夜な夜な鉦を打ち鳴らすせいで眠れない。坊主のところに「クレーム」を言いに行くと、その坊主こそ、高尾を失って僧侶となった道哲であった。道哲から反魂香のことを聞いた八五郎は、実は自分も数年前に妻を亡くしており、自分にも反魂香を分けてくれと言う。しかし、「これは高尾と私だけのものだから」と断られ腹を立てた八五郎は、「香」ならば薬屋にあるだろうと薬屋を叩き起こすが、間違えて「反魂丹」(胃薬)をたくさん買い込んでくる。 長屋に帰って反魂丹を火にくべるが、煙ばかりでいっこうに妻の姿は現れない。煙でむせこんでいる八五郎のところに、不審な煙に気づいて様子を見にきた近所の奥さんがやってくる。 「お前は俺の女房かい?」「なにを言ってんだい、さっきからあんたんとこ、きな臭いよ」。 落語「反魂香」は、死者を想う生者の気持ちや、死者のために生者が行う儀式や祈りについて、絶妙な距離感で描き出している。道哲の祈り(鐘)は、八五郎にとっては「迷惑行為」だった。しかし、自分も道哲と同じ境遇だと知った八五郎は、その祈り(煙)を「反復」しようとする。そして八五郎の早とちりのおかげで、その祈りは「迷惑行為」だけでなく「喜劇」にまで転落(あるいは上昇?)する。 死者はすでにここにいない。見ることもできないし、どこにいるのかもわからない。いや、本当にいるのかさえ、確かではないだろう。だからこそ、死者のための祈りや儀式の意味は、客観的には確定できない。「反魂香」が笑い噺なのはそのためである。 芸術もまた、その意味が客観的に確定できないという点で、死者のための祈りや儀式と似ている。芸術作品は常に、誰かにとっての「迷惑行為」かもしれない、あるいは作者の意に反して「喜劇」に見えているかもしれない、という恐怖にさらされ続ける宿命だ。 その運命から完全に逃れようとすることはおそらく、宗教や芸術の夢であっただろう。しかし、その夢を早急に実現しようとするあまり、宗教や芸術を裏切ってしまうという事例を、私たちは知りすぎている。 まずは当事者と第三者、その視点を往き来する想像力を獲得すること、そこからはじめるほかない。高尾と道哲の悲劇から、「反魂香」という笑い噺が生れたように。