新芸術校第一期で銀賞受賞の丫戊个堂がキュレーションする展示です。彼の解釈による「危機の時代」の問題設定とそれに対する応答をテーマに、プライベートな空間⇔パブリックな会場といった二項対立の融解を試みます。彼自身と新芸術校一期生二期生が作家として参加し、また彼が収蔵している作品も展示します。
【日にち】 2017年2月22日(水) 〜 3月1日(水)
【時間】 15:00〜21:00
【場所】 会期は終了しましたので、展示場所の情報は非公開となります。
主催:「まつりのあとに」実行委員会
1978年山形県生まれ。2010年頃からネット配信者として活動。GP総帥。博士(歯学)。古武道研究会・柔剣雷心会師範代。新芸術校一期成果展にてトラックコンテナで独自の会場を作った《GPの咆哮》で銀賞受賞。今回の肩書はキュレーター・オルタナティブ。
1981年東京都生まれ。高校時代から建築インテリアデザイン及び大工の技術を学ぶ。2001年アート&デザインユニット「Design is design」を結成し作家活動を開始。ユニット解散後、大工職人を経て、ひとり工務店を開始。建築内装の設計施工業務を中心に行う。2016年『カオス*ラウンジ新芸術祭』や『BARRACKOUT』に参加し、展覧会の空間設計と建造物を扱った作品を制作・発表。2017年居酒屋兼ギャラリー「中央本線画廊」をオープン。新芸術校第二期成果展銀賞受賞。
1987年三重県生まれ、東京在住。新芸術校一期生。一期の中間発表ではダライ=ラマの胸像型の石鹸にみんなでナイフを入れて切り分け使用するという作品で衝撃を与えた。本展示には約3年間かけて描き貯めたマンガ作品を出展している。内容は信仰と、父殺しならぬ娘殺しについて。
1983年山口県生まれ。豊橋技術科学大学卒(建築意匠)2011年「第5回未来につなぐ心の糧」入選。2014年gallerySPACEKIDSにて個展『わたしをもっと見て』、「美術手帖2014年の年賀状コンテスト」佳作、「北九州デジタルクリエーターコンテスト2014」入選、「eco japan cup 2014 エコアート部門」入賞。2016年「WIRED CREATIVE HACK AWARD 2016」ファイナリスト。建築、プロダクト、グラフィック、映像において、主にコンセプトデザインを担当しており、形態生成理論、映像理論と、社会思想を絡めて表現に繋げることが制作のテーマ。
1985年東京都生まれ東南アジア育ち。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン哲学部卒。外資系メーカー日本支社にてマーケティング職。2017年初頭より異動につき韓国・ソウル在住。特技はプレゼンとコラージュ。2016年2月、新芸術校一期成果展にて観客賞受賞。2016年6月、カオス*ラウンジ新作展『風景地獄ーとある私的な博物館構想』に参加。2016年7月、カオス*ラウンジ五反田アトリエにてペインター弓塲勇作と二人展『現実の鍋』を開催。ワンフレーズ・ポリティクス、桃源郷ハッピートリオ所属。
1983年愛知県生まれ。絵画、リズム・反復と物語・スケールの探求。新芸術校一期生。2016年10月、京都momuragにて個展『ヤポネシアの赤い空』を開催。ワンフレーズ・ポリティクス所属。
丫戊个堂を総帥として活動している秘密結社。
日本滅亡の予言詩であり、「やまと」の語源と言われることもある《野馬台詩》をキービジュアルとするこの展示は二つのテーマから構成される。 「危機」の時代、そしてオルタナティブ・アートである。 「危機」の時代として想定されているのは、簡単に言えばネットコミュニケーションがもたらした新たな人間疎外の構造のことで、それを作品として外部化し鑑賞する行為から、考察を深め対策を練ろうというものだ。 宮台真司氏の「感情の劣化」を少し読み替え、「感情の物質化」という造語をキーワードとして考えたい。 SNSのシステムとは、もしかしたらまだ我々のヒューマニズムだったかもしれない所作を効率よくデータ=物へと変換してしまうアーキテクチャであり、特にタッチパネルというインターフェイスに「触れる」行為が物質化の瞬間と見立てている。 自分では人間性の発露と思っていても、それは物質化されていることを巧みに隠蔽されている。物質化された感情はもはやユニットであるがゆえに資本主義的なシステムに回収され、ネットワークを通じて世界中にあまねく流通、集積し、その極端化した集合体がさらに人々の感情を刺激し、その反応を回収することでいっそう膨れ上がっていく。いわゆる炎上やヘイトスピーチ、フェイクニュースなどのメカニズムを作品で扱おうと試みた。 近代主義の本家本元と思われていた欧米においてもその理想がこのメカニズムによって脅かされている現状を称して「危機」の時代としている。 一方で、オルタナティブ・アートではそういう時代への対応として、ある種の世捨て人をまずは参照する。 『論語』に描かれる狂人の振りをしながら警告の漢詩を歌う接輿、処刑の危険がありながら自由奔放で俗世から超越した論議を発信した「竹林の七賢」、激動の時代の最中で草庵を拠点として自らの創意工夫を磨き上げた風流人や数寄者たち、そのような先人に倣い、一度私は仲間と共に私的空間を壺中天として籠ろうと思う。 それは夢想の悦楽に浸る逃避のためではないし、怯懦と愚鈍による保身一辺倒の身振りでもない。 我々を束縛しようとする外圧から身を守り、それをかいくぐる細やかな根茎のような生存のルートを我々の文化的資源から掘り起こすためである。 作品を思考のツールとして、他のものと結びつけたり、配置したりすることで固着した想像力を解きほぐし、未来へのバリエーションを残し、我々の感情を短絡させるインターフェイスに対して、別の手触りの実感、響き、味わいを取り戻す試み。 それが「危機」の時代のオルタナティブ・アートである。